【特集】被災地の今 ~震災から4年③~ 町長が復興語る「当時の事実、伝えたい」

2015年3月11日

宮城県南三陸町の佐藤仁町長は中村幸夫所長が主宰した、いりやどセミナー(131)で、復興への想いについて語り、当時を振り返った。

 

 

南三陸町 佐藤仁町長

 

 

「市民が命を落とさない町づくり」が町の復興の根底にあり、かつてのように人々が歩ける町をつくることが最大の夢である。東日本大震災を教訓に、住宅と商業施設を棲み分けた町づくり計画を進めている。

 

南三陸町の人口は震災後、減少しており、県外・町外からいかに人々を引き寄せるかが課題であり、そのきっかけを作っていかなくてはいけない。完全にゼロからの状態からどのような町ができあがっていくのか、楽しみでもある反面、復興にはまだまだ課題が残っている。

 

医療の過疎化が問題となっている中で、今後は地域住民、特に高齢者が病院にかからなくてすむような予防をしていかなくてはならない。「不活発病」の予防としても、高齢者の生きがいづくりが重要となるだろう。心身ともに元気に過ごせるシステムづくりに取り組みたい。

 

また、被災した子どもたちのケアも必須である。普段は元気に過ごしていても、傷を持ちながら生活している。4年が経った今も、「自分が生き残ってしまった」という負い目を感じている人も少なくない。被災者の心のケアなどのソフト面はボランティアの力を借りたい。被災地に訪れる時には、暗い顔をせず、笑顔できてほしい。

 

あの日、私も防災対策庁舎の屋上に避難し、生き残った10人のうちの1人となってしまった。震災の風化が懸念されている中で、あの時一体あの屋上で何があったのかという事実を伝えていかなくてはいけない。4年が経過してようやく、生き残った10人とあの日について語り合おうとしている。

 

 

◆ ◆ ◆

 

【クローズアップ 復興の一コマ】

 

被災した公立志津川病院に代わる町立南三陸町病院を高台に建設している。敷地面積29053平米という広大な敷地に、病院と総合ケアセンターを設立し、地域医療の基幹病院として、住民が安心して暮らせる生活を支援していく。また、総合ケアセンターでは「健康づくり」や「児童福祉」「障害者福祉」「高齢者福祉」などの保健福祉サービスを提供。医療・福祉を一体的に提供できる環境を整える。

 

建設費は約52億円でそのうちの三分の一が台湾からの寄付だという。今年10月に竣工予定だ。

 

 

今年10月、総合病院が開設する

 

 

20122月に南三陸町の志津川地区の消防署の跡地に建てられた仮設商店街「南三陸さんさん商店街」。名物「きらきら丼」などの海の幸が堪能できるフードコートなど、32店舗が並ぶ。一時は多くの人が集い、復興を牽引してきたが「以前に比べて賑わいが減った」と地元の事業者が声をもらす。来年、旧市街地へと移転される。

 

32店が並ぶ「南三陸さんさん商店街」

 

 

宿泊施設「南三陸まなびの里 いりやど」。「若い世代がこれからの時代をいきるための力をみつける」ことを目的とした施設で、現地視察や支援活動の場として利用されている。

 

 

宿泊施設「南三陸まなびの里 いりやど」

 

 

廃校となった入谷中学校は、震災後、物産品を作る工房「Yes工房」に生まれ変わった。

 

 

Yes工房

 

 

南三陸町のご当地キャラクター「オクトパス君」のグッズ制作や販売をしている。復興のために、南三陸町の有志によって立ち上げられた「復興ダコの会」が運営している。「もの作りをすることが昔からの夢でしたが、ようやく完成した工房も被災してしまいました。観光庁と協力しながら、町を明るくしていきたい」(入谷公民館 阿部忠義会長)

 

グッズの制作・開発を行う

ご当地キャラクター「オクトパス君」

 

 

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