2024年1月17日号 12面 掲載
16㎞ルール、2つの事務連絡 時代錯誤の「10マイル」制限 是正へ/医療法人社団 悠翔会 佐々木淳氏【連載第53回】
終末期がんと診断され、自宅で最期を過ごすことを決断した84歳の女性。
彼女が苦痛なく穏やかに過ごすためにはオピオイド(医療用麻薬)による鎮痛コントロールと在宅酸素が必要だ。しかし、彼女の暮らす島には在宅医はいない。
知多半島の南端に位置する南知多町。その南端にある師崎港から高速船で10分、日間賀島に彼女の自宅はある。「名古屋から一番近い島」として多くの観光客が訪れるが、島の人口は約1500人。島内には24時間対応の在宅緩和ケアを提供できる医療機関はない。彼女の家族やケアマネらは島の外側で在宅医を探した。そして知多半島・武豊町にある私たちの法人が運営する在宅療養支援診療所(悠翔会ホームクリニック知多武豊)に相談が来たのだ。
クリニックから彼女の自宅までの直線距離は18.3キロ。途中、フェリーに乗り換える必要もある。往診に呼ばれれば1 日がかりだ。正直大変なケースだ。しかし、在宅医がいなければ彼女は自宅に帰れない。私たちは彼女の診療依頼を受け入れることにした。
実は、在宅医療の提供には半径16キロという診療圏の制限がある。訪問診療や訪問歯科診療は、診療所の所在地から16キロを超えた患者宅への訪問や往診は「絶対的理由」がない限りは認められない。
以前、訪問歯科診療を提供していた患者宅とクリニックの距離が16キロをオーバーしているという理由で診療報酬を返還させられたことがある。16キロ圏内であることをGoogleマップで確認したと主張したが、厚生局は国土地理院の地図を引用し、4メートルオーバーしていると指摘した。それほどこのルールは厳格なのだ。
しかし彼女の場合、島内に在宅医療の提供者がおらず、島外にもフェリーに乗って往診しようという在宅医療機関は存在しない。私たち以外に対応する医療機関がないというのは絶対的理由であろうと考え、厚生局に相談したところ、信じられない指摘を受けた。
彼女の自宅から半径16キロ圏内の全ての医療機関が在宅医療を提供できないことを証明せよというのだ。
フェリーアクセスのある知多半島の医療機関について島への在宅医療の提供意思がないことを確認し、ようやく訪問診療にいけると思ったら、西尾市や渥美半島の医療機関まで確認せよという。確かに半径16キロ圏内にこれらの地域は含まれるが、フェリーアクセスが存在しない。訪問できる医療機関など存在するはずがないのだ。一体何のためのルールなのか。
途方に暮れているうちに、彼女は病院に運ばれ、そして亡くなってしまった。担当チームは無力感に打ちひしがれた。
訪問診療や訪問歯科診療、訪問服薬指導には16キロの距離制限がある。これは何のためのものなのか。訪問範囲が広ければ広いほど、移動距離・移動時間が長くなり、診療効率は悪くなる。誰も好き好んで遠くまで訪問したいとは思わない。実際、悠翔会が運営する都内の在支診の診療半径は概ね2〜3キロだ。16キロという制限などされなくても、地域と密な連携を図ろうと思えば、人口密度に応じて「適正診療圏」は自ずと定義される。都市部で16キロを超えて診療をしたいと思う在宅医など皆無だろう。
一方、地方や過疎地においては事情が異なる。はおろか、医療機関そのものが少ない。医師の高齢化も進み(医師会構成員の平均年齢が75歳以上のところも増えてきている)、24時間対応はおろか、日中の訪問診療の依頼先すら存在しない地域が少なくない。
住民や介護者は在宅医療の提供者を探し、16キロを超えて依頼をしてくる。しかし、その依頼に応えるためには、依頼された医療機関は患者宅から16キロ圏内の在宅医療提供者の不在を証明しなければならない。本来であれば16キロを超えて診療するという貢献に対して加算があってもいいくらいだ。
そもそも16キロルールは連合国統治下に由来する。
医師には応召義務がある。「診療に従事する医師は診察治療の求めがあった場合には正当な事由がなければこれを拒んではならない」、医師法第19条1項にはこう定められている。戦後、医療機関が整備されていなかった時代、医師の診療は主に往診によって行われていた。ただ、遠方への往診は負担が大きい。そこで連合国軍は「10マイルを超えての往診は断ってもよい」というルールを定めた。この10マイル 16キロという数字が、現在は「16キロを超えての往診は認めない」と逆に運用されている。
時代錯誤の「10マイル」制限、是正へ
なぜ16キロで制限が必要なのか。何を守るための規制なのか。患者の利益を守るためであるならば、評価すべきは距離ではなく診療の質(24時間対応の実績や入院回避、看取りなど)だろう。隣町から優秀な往診医が来ることが気に食わない、そんな開業医の商圏を守るためとは思いたくはないが、厚生局の要求事項を見る限り、患者の利益が最優先されていないことは明らかだ。
日間賀島の高齢化率は40%に迫る。東海道メガロポリスを除けば、日本のほとんどの地域で高齢化とともに人口減少が急速に進んでいる。このような地域に在宅医療が届かないことは、高齢者の人生最終段階の居場所の選択肢を奪い、病院での死を強いる。
大震災に襲われた能登においても、高齢者の多くが、たとえ自宅が損壊したとしても住み慣れた町を離れたくないと金沢や富山への広域避難を拒絶しているという。人口が少なく、医療経営的には厳しい地域に在宅医療を届けるためには、都市部でひしめき合う開業医の商圏を守るための16キロルールは排除せねばならない。そして、16キロを大きく超えても在支診が存在しないのであれば、そこになんらかの形で在宅医療を届ける仕組みを考えなければならない。
昨年の規制改革推進会議では、人口減少地域・過疎地域に在宅医療を届けるための議論が重ねられた。そして年末に2つの事務連絡(※)が厚労省から発出された。
①半径16キロ圏内に、患者の在宅医療ニーズに応えられる医療機関がない場合には、16キロを超えた在宅医療の提供が可能である。たとえ在支診が存在していたとしても24時間の往診対応ができない、医療機器の管理や在宅緩和ケアに対応できないなどの場合も含まれる。
②地域の在宅医療提供体制が脆弱であり、都道府県が認めた場合には、へき地診療所に準じた医療機関(管理者を兼務できるいわばサテライト診療所)の開設が可能である。
人口密度の低い地域においては、診療拠点を開設してもフルタイムの常勤医師を養うほどの患者数・診療収入は確保できず、経営的に成立しない。しかし、サテライト診療所を管理者兼務で開設できれば、より広域を合理的にカバーできるようになる。
地域の実状に応じた制度を
今回の2つの通知は、離島・中山間地域などの医療過疎地域において、在宅医療提供体制を確保するための重要なブレイクスルーになるはずだ。医師会には、大規模在支診による在宅医療マーケットの独占を懸念する声もあるかもしれないが、そもそも医療過疎地、医師の高齢化・医師の減少が顕著な地域。収益性を重視する医療機関経営者には魅力などないだろう。志のある医療機関が住民のニーズに当たり前に応えていくための前提がようやく整った。そう評価している。
(※)事務連絡(令和5年12月27日)厚生労働省医政局総務課「複数の診療所の管理について」
事務連絡(令和5年12月28日)厚生労働省保険局医療課「疑義解釈資料の送付について(その63)」
佐々木淳氏 医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長 1998年、筑波大学医学専門学群卒業。 三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。