【特集】被災地の今 ~震災から4年②~「支援」から「協働」へ 町の復興、共に目指す
震災後間もなく、ある一人の医師が青森から被災地に渡った。産婦人科医でヘルスプロモーション研究所の中村幸夫所長は、岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、同南三陸町へと拠点を移し、医療を通じて被災地の復興支援を行ってきた。現在拠点としている南三陸町では公立南三陸診療所でレディース外来を始めたほか、地域住民向けの健康講座「荒砥塾」を開催するなど、地域住民からの信頼も厚い。南三陸町での取り組みや復興の課題について話を聞いた。

ヘルスプロモーション研究所 中村幸夫所長
〝被災者の格差〟懸念
――震災後間もなく被災地での支援活動に取り組んできたが、そのきっかけは
中村 震災から10日目に岩手県大槌町へ入り、元々医療サービスが十分でなかった地域が震災によって不自由さを増した状況であることに気付いた。そこで、長期支援のために産婦人科医として被災地に渡ることを決意し、2012年2月から陸前高田市で「医療で震災復興」プロジェクトを開始した。
――被災地での活動内容について
中村 2014年1月から南三陸町で、医療弱者、特に女性と高齢者への支援に力を注いでいる。公立南三陸診療所の非常勤医として、「レディース外来」という名称で15年ぶりの産婦人科診療を始めた。高齢者医療介護では、老健ハイムメアーズ施設長および特別養護老人ホームいこいの海・あらとの嘱託医として看取り支援にも取り組んでいる。また、医療用のヘリコプターを運航するNPO法人オールラウンドヘリコプターでメディカルアドバイザーをしている。さらに、SNSで業界関係者によびかけ、「南三陸町を勝手に支援し隊」を立ち上げ、「見て語って食べて」をコンセプトにした多職種のメンバーが集まる支援活動を始めた。
――荒砥塾の概要について
中村 荒砥塾は地域住民のための健康勉強会。廃校となった地域の荒砥小学校にちなんで始めたもの。当初は私が塾長として講演をしていたが、最近では「南三陸町を勝手に支援し隊」として関東等から講演に来てくれるメンバーも増えた。
――復興は順調に進んでいるか
中村 高台移転の造成工事で山は切り崩され、被災地域は盛土で嵩上げされ、南三陸町の景観はすっかり変わってしまった。復興は着実に進んでいるが、それに伴い「震災の風化」や「被災地の風化」が懸念されている。最も顕著なことは被災地を訪れる人出の減少だが、風化は震災復興への寄付金の減少としても現れている。
――被災した地域住民にとって、今一番の問題は何か
中村 震災当時は同じ「被災者」という状況にあった人々だが、4年も経った今は経済的・精神的に大きな格差を抱えている。被災地での復興を目指して活動している人や既に町外へ出て新生活を始めた人に比べ、この4年間の生活から抜け出せずにいる人の今後が心配だ。
「支援をする人」と「支援を受ける人」という関係は終わりにして、これからは被災地で一緒に働きながら復興を目指すという「協働」へとパラダイムシフトしなければならない。そのためには、全国の団塊世代にも被災地でActive Ageingを愉しんでいただきたい。
◆ ◆ ◆
医師の移動手段に活用 サポーター制度開始/NPO法人オールラウンドヘリコプター
震災の影響で、医療過疎が進む被災地では、高度医療機関などへの医療アクセスの悪さが課題となっている。
地元の人たちに医療を届けようと医療ヘリコプターを運航するNPO法人オールラウンドヘリコプター(ARH、宮城県気仙沼市)が2013年に立ち上げられた。同法人が運航しているヘリコプターは単に患者搬送だけではなく、医師の移動手段や医療器材搬送など多目的に対応している点が特徴。例えば、南三陸町から基幹病院の石巻赤十字病院まで通常40分から1時間近くかかるところを、ヘリコプターを使えば、10分程で搬送が可能となる。
石巻赤十字病院や気仙沼市立病院、気仙沼市立吉本病院と提携しており、岩手県・宮城県沿岸部を中心に、これまで患者搬送や医師搬送、大雪被害調査などでの運航実績を重ねてきた。救命救急士でもある渡部圭介事務局長は「地域住民の医療ヘリコプターに対して敷居は非常に高い。ヘリコプターをもっと身近なものにしてもらいたい。また、医師の移動手段としても活用し、診療の時間を増やしてもらいたい」と話す。

救命救急士 渡部圭介事務局長
震災から4年が経った今、活動は岐路に立っているという。ヘリコプターの運用には年間6500万円程かかる。これまで寄付金での運営を継続してきたが、時間が経つにつれ、活動への関心が低くなり、「思うように寄付金が集まらない」のが現状。2月からはサポーター制度を開始し、協力を呼び掛けている。

岩手県・宮城県沿岸部で活動